☆ 悪は無くせなくとも、知恵はつけられる−なぜ無くならない営利誘拐事件− ☆


里見哲


 死刑廃止について、賛成したいのだが、どうしても割り切れない思いをすることがある。

 特に、少年少女に対する犯罪と誘拐殺人が発生したときに強く感じる。その場合、個人的報復を禁じている近代国家のもとでは、心からの痛みを持って、国家が犯人を極刑に処すのも止むを得ないのではないかという気がしてくる。

 ドストエフスキイの最大の傑作と言われる『カラマーゾフの兄弟』の中でも、天使の心をもつ青年として描かれている末弟アリューシャが、戯れに犬を嗾けて少年を虐殺した男の話を聞いたとき、思わず「死刑にすべきです」と叫ぶシーンに同感しない人は少ないのではないだろうか。このアリュ-シャの反応に、「お前も悪魔の心を持っている」と指摘したのは、その兄イワンだった。

 殺人、戦争をこの世から無くすためには、渡辺一夫氏のように、絶対的無抵抗を奉じるしかないのかもしれない。だが、それは、愛する人たちが殺される様子を傍観することによってしか達成されない。ドストエフスキイは、死刑を報復によるものではなく、殺人犯人を作ってしまった社会に対し、人々は責任を感じ、心からの痛みを持って、死刑を執行しなければならないと考えていたように思える。

 被害者が少年少女の場合や誘拐殺人は、例外とする考えもあるだろう。それにしても営利誘拐の成功率は、限りなく零に近い。人間から悪を追放するのが、無理でも、このような馬鹿げた犯罪が無くなるような知恵を持つことはできるのではないか。

 今回の経営者誘拐殺人事件の容疑者にJCの仲間がとりざたされている。もしエリートであり、人格も高潔であるJCの仲間の犯罪だとすれば衝撃はより大きい。誘拐は知恵も良心もない者のみが起こす犯罪だからだ。被害者の冥福を心からお祈りする。

(H15/4/23記)


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