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井出薫
左派の衰退が著しい。日本共産党は支持率が低迷し党員の高齢化が進んでいる。若者の支持もない。社民党は消滅寸前、れいわも一時期の勢いがなく、しかも左派色が嫌われ支持層が参政党に流れているとも言われている。この現象をどう見るべきなのか。 60年代の日本は高度成長期で実質ベースで年10%近くの経済成長を誇り、賃金も年々大きく上昇、定期預金の利率も物価上昇率を大幅に上回っていた。しかし、それでも当時は今と比べるとずっと貧しく、各地に貧しい日雇い労働者が集まるドヤ街が多数存在した。毎年、収穫期を終えた農村からは多数の出稼ぎ労働者が都会に集まり過酷な環境で働かされていた。中卒で地方から都会に働きに出る若者もいた。家族の生活を支えるためにやむなく風俗店で働く女性も少なくなかった。福祉社会保障も不十分で、認知症患者や障碍者、要介護の高齢者は家族で世話をするしかなかった。さらに女性、障碍者、在日外国人などへの差別も酷かった。現在では差別用語として公共の場では決して使われない言葉が普通にドラマや映画で使用されていた。その所為で当時の人気テレビ番組や映画の多くが地上波では放映できなくなっている。高度成長の影である公害は深刻で多くの被害者を生み出した。大量のごみや廃棄物で都心の河川はどぶ川となり東京湾はヘドロの海と化していた。 60年代から70年代、高度成長の裏面とも言える貧困と経済格差、差別、環境汚染を告発し、政府や大企業に抗議の声を上げ、その改善に力を尽くしてきたのが左翼、革新、リベラルなどと呼ばれた左派だった。こうした左派の活動は多くの人々の共感を得た。左派政党は政権を奪取することはできなかったものの、自民党も世論を背景とする左派の声を無視することはできず、ときには支持母体である経済界からの反発を抑え込んでも左派的政策を政府の政策に取り込むことがあった。 時代は移り、バブル崩壊以降低迷が続いているとはいえ、市民生活は改善した。60年代筆者は小学生・中学生だったが、身近なところで貧しさを実感することが少なくなかった。しかし今は報道などでシングルマザーや老々介護の高齢者世帯の苦境が伝えられるのを聞くだけになっている。介護保険制度など福祉社会保障も充実した。差別は依然として根強く残っているものの女性の社会進出は進み首相も女性になっている。差別用語が公共の場で使われることはなく、使った者は必ず謝罪を余儀なくされる。規制強化と廃棄物処理施設の整備でどぶ川やヘドロの海も浄化されてきている。 左派の政策の多くが、完全とは言えないまでも自民党政権の下で実現した。その結果、人々は左派への共感を失い、むしろ左派の非現実な理想主義に嫌気がさしている。それが左派が衰退している最大の理由だろう。左派は政策と活動の立て直しを迫られているが旧態依然の体制が続き改革ができない。左派などもはや無用だという意見もある。だが、左派と右派のバランスが取れていることで社会は初めて健全に保たれる。どちらか一方が突出すると反対者の存在を許さない不寛容な息苦しい社会が出現する。左派は現状を良く調査分析し改革を実行してもらいたい。右派の失策を待っているようでは先はない。 了
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