☆ 年齢 ☆

井出薫

 日本人は年齢をやたら気にする。「まだ若い」、「もう歳だ」、こういう表現が決まり文句になっている。官民ともに組織には定年がある。体力、気力、知力に関わりなく定年になると退職しなくてはならない。まだ働きたいのに、仕事が好きなのに辞めなくてはならない。一方、定年を待つことなく十分な蓄財を為し、仕事が好きな訳でもないのに周囲の目を気にして定年まで勤める者がいる。日本では新卒一括採用が定着して社会人として働きだす時期が学歴別に概ね揃っている。日本社会は年齢が気になるような雇用システムになっている。

 米国では年齢に拘りは少ない。若者を特別扱いしないし、高齢者も特別扱いしない。一般的に私企業では定年はない。代わりに日本のような新卒一括採用もない。今年の大統領選は前回同様、バイデン対トランプになりそうだが、次期大統領就任時期にはバイデンは82歳、トランプは78歳になる。これも年齢を気にしない米国ならではだろう。日本の政界でも二階や麻生など80歳を超える現役議員が党内で睨みを利かせている。だが、さすがに緊急時のワンポイントリリーフならいざ知らず、首相の座を78歳と82歳で争うことはない。戦後の日本で最高齢の首相は退任時の吉田茂の76歳、70代後半ともなれば日本ではトップの座からは引退し実力者は闇将軍的存在になる。大統領の座を巡る正々堂々の高齢者対決は米国ならではと言える。その代わり、米国では次の大統領選が30代と40代の対決になる、などということがありえる。日本ではまずそういうことはない。

 日本では、当選回数の多い高齢議員が幅を利かせ政治の停滞を招いているため、議員にも定年制を導入すべきという声がある。しかし、これもまた日本人が年齢に拘っていることの現れだとも言える。高齢議員の弊害を正したいのならば定年制を導入するのではなく選挙で当選しないようにするのが議会制民主主義の本来あるべき姿だ。日本では最高裁判事は70歳が定年だが、米国では連邦最高裁判事には定年がなく終身制が取られている(ただし引退することはできる)。米国では一定の年齢に達したら職責を果たせなくなるという発想はない。とにかく年齢に関する考え方は日本と米国では大きく異なっている。

 どちらが良いのか一概には言えない。年齢で差別することは許されないが、それぞれの分野で適齢期や年齢的な限界はある。86歳の大統領は補佐する者がよほどしっかりしていないとやはり不安がある。それゆえ、採用時期と定年時期を固定する日本式のやり方には一理ある。だが、それが日本人の過剰な年齢意識を生み出し、若者の活力を削ぎ、高齢者の経験を活かす場を奪っていることは否めない。一括採用や定年制ではなく、個人も企業も緩やかな基準を設けて、それを参考にしながら、各個人がその都度自らの能力を適切に判断し相応しい行動をとることができるような社会が一番望ましい。いずれにしろ、いまの日本は年齢に拘りすぎる。その弊害を認識し改善する必要があることだけは間違いない。


(2024/2/12記)


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