☆ 政治資金の透明性確保 ☆

井出薫

 政治資金パーティー券問題で政界が揺れている。こういうときに、いつでも言い訳に使われるのが選挙に金が掛かるということだ。

 確かに選挙には多くの費用が必要となる。ネットが普及しているとはいえ、候補者の人物像や政策をネットで調べる者は少ない。顔や政治思想・政策を知ってもらうには、選挙区を隈なく周り経歴や政策などを訴えるしかない。そうなると、選挙区が広いところだと、複数の選挙カー、運転者、運動員などの手配が必要になる。また選挙事務所も欠かせない。チラシを刷り配ったり、郵送したりする必要もある。これらすべてに掛かる費用は決して少なくない。

 国会議員だと事務所を東京と地元に置かなくてはならず、秘書も多数必要となる。国政の様々な課題に真摯に取り組むには、多くの知識が必要となる。国際情勢、財政、経済、法律、科学技術、保育、教育、介護、医療など必要とされる知識は極めて多岐にわたる。最新の科学や技術は、専門家以外はほとんど知識がない。しかし、これらすべてが法案や予算案の審議に関わってくるから、国会議員ならば一定の知識が必要となる。そのためには多数の専門家の協力を仰ぐ必要がある。専門家に教えを乞うからには、時間を割いてもらうのだから謝礼が必要になる。

 それゆえ、選挙など政治に金が掛かることは認める。問題は、政治資金が具体的に何にどれくらい必要なのか、それがどのようにして集められているのか、それが一般市民には分からないことだ。だから、金が掛かると言われても、それだけでは一般市民は納得することができない。政治資金パーティーが必要なのか、政党助成金だけでは不十分なのか、そういう判断ができない。

 代議制民主主義では政治に金が掛かるのはある程度はやむを得ない。それは日本に限られたことではない。選挙制度が大きく異なるから単純な比較はできないが、米国大統領選では千億円単位の資金が必要になると言われている。つまり課題は、政治資金が何に、どれだけ必要なのかを明確にし、費用を削減する方法はないのか、削減するには何が必要か、政治資金の集め方はどうあるべきかを真摯に検討することだ。この課題を解決するには、政治資金の透明性の確保が何よりも重要となる。さもないと議論を始められない。経営不振の企業の再建には収支の徹底的な分析が不可欠であるのと同じだ。漠然と「金が掛かる」では誰も納得しないし、解決策は生まれない。

 岸田内閣は政治刷新本部なるものを設け、政治のあるべき姿を議論している。だが、肝心な政治資金の流れの透明性確保が議論から抜けている。第三者による政治資金の監査と公表の義務化、政治家自身の責任の明確化、この二つが最低限必要だ。資金の流れが徹底的に透明化し議員の責任が明確化すれば、不明朗な金の流れが大幅に減る。岸田首相は派閥の解消を宣言している。選挙で国民に選ばれた議員は年齢や当選回数に関わりなく本来対等であるべきなのに、派閥が議員の中に支配のヒエラルキーを持ち込んでいる。だから派閥解消には確かに意義がある。だが、思想や政策が合致する者同士が集団を形成し、思想や政策を異にする者たちと論争することは民主主義にとって欠かせない。同じ党だからと言って、党内が常に一枚岩である必要はない。公明党や日本共産党のような一枚岩の党には意見の多様性を阻害し現実に柔軟かつ適切に対応できないという弊害もある。

 しかしながら、一番大切なことは政治資金の透明性の確保であり派閥解消ではない。弊害の多い現在の派閥の解消には賛成だが、それだけで事を済ませることは許されない。


(2024/1/27記)


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