☆ リベラル、左翼の新政党を ☆

井出薫

 保守タカ派の論客、百田氏が「日本保守党」を立ち上げた。次期衆院選では候補を擁立、政界進出を目指す。参院選で議席を獲得、先の統一地方選でも100名近い当選者を出した参政党とともに、保守、右翼の新党が台頭している。これらの新党を、左翼やリベラルなど左派の論客は軽視しているようだが、当初、地方政党に過ぎないと高を括っていた日本維新の会はいまや野党第一党を狙う勢いで、統一地方選でも大きく躍進している。

 右翼、保守政党が台頭する一方で、リベラル、左翼など左派政党は退潮が目立つ。NHKの11月の世論調査では、社民党の支持率は参政党を下回っている。これでは消滅も間近いと言わざるを得ない。立憲民主党と国民民主党はいまだに労働組合頼みで支持が広がらない。今の労働組合はリベラル、左翼など左派とは言い難く、むしろ経営と一体で動く右派というべき存在だ。労働組合の連合体である連合の動きも理解しがたい。岸田の「新しい資本主義実現会議」に連合の会長が名を連ねている。労働組合の頂点に立つ者ならば「新しい社会主義実現会議」を立ち上げるべきだろう。ある労組などは、経営層と一体になって原発推進を掲げ、脱原発を主張する議員や政党は支持しないと左派政党に圧力を掛けている。そして、情けないことに、それに忖度して立憲民主党も国民民主党も脱原発を堂々と表看板に掲げることができない。福島原発事故で現地の労働者たちがどれだけ怖い思いをしたか想像できないのか、東海村臨界事故で亡くなった労働者のことはもう忘れたのか。労働組合ならば労働者の生命と安全を何よりも大切にし、原発は徹底した安全対策を実施し、かつ地元住民はもちろん広く国民の理解を得ることができた場合にのみ運転の再開が認められると主張しなければならない。ところが真逆のことをしている。確かに脱炭素、再生可能エネルギーの不安定性を考慮したとき、補完的な位置づけで短期的には原発を容認する必要性があるかもしれない。だが、蓄積する一方の高濃度放射性廃棄物、事故発生時や寿命が尽きた原発の廃炉作業に要するコストと時間、危険性などを考えれば、原発が持続可能ではないことは明らかで、いつかは必ず脱原発を行わなくてはならない。そのことを意識すれば脱原発を掲げることは欠かせないはずだ。それができないようでは、立憲民主党も国民民主党もその存在意義が疑われる。

 日本共産党は既存の労働組合には依存せず独自路線を取っている。だから脱原発を明確に打ち出すこともできる。だが、党の綱領や規約に示されている通り、同党は依然として科学的社会主義と民主集中制の党、言い換えれば伝統的なマルクス・レーニン主義の党に留まっている。党首選の実施を求めた党員をあっさり除名したことで、それを露呈した。これでは、党員の高齢化が進み、若者の支持者が増えないのも無理はない。マルクスやエンゲルス、レーニンに興味がない者や批判的な者でも、共産党の主要政策に共鳴する者ならば誰でも、たとえ大企業経営者でも、米国支持者でも入党できる開かれた党、公の場で堂々と党の行くべき道が議論され、党首も党員の自由意思による自由な選挙で選ばれるような党になることで初めて、支持者を増やすことができる。だが、そういう気はさらさらないようだ。党勢が低迷しているのに、20年以上、党首が変わっていない。いくら、平和だ、自由だと謳っても、こういう党は信頼されないし、他党との連携も協力も進まない。

 れいわ新選組は、組合や企業など既存の勢力から自由な左派的な政党で一定の支持を集めている。だが、その政治思想は曖昧で、山本太郎個人の党という色彩が強い。党名自体がむしろ復古的な感じで、党の掲げる政策や主張を知らなれば右派政党と勘違いする。ALS患者を国会に送り出したことは画期的で高く評価するが、その割には社会保障や福祉の充実、差別の撤廃などよりも、独自の経済政策などに力を入れて宣伝をしており、果たして、本当に左派というカテゴリーに入るのかどうか怪しいところもある。

 このように、現状では、これから先大きく伸びて政権に近づくことが期待できる左翼やリベラルなど左派政党は存在しない。そして、これら既存の左派政党が自分たちの姿と自分たちが立っている足元をしっかりと見つめ直し、反省し、改革を断行し、新しく生まれ変わることも期待できそうもない。このままでは、日本の政界は保守や右翼が大半を占めることになりかねない。

 リベラル、左翼など左派が正しく、保守、右翼など右派が間違っていると決めつけるつもりはない。だが、環境問題の解決、経済格差の是正、障碍者、LGBTQ、在日外国人など少数者の人権擁護などが喫緊の課題となっている現代、右派政党にこれら諸課題の解決を期待することはできない。時代が求めているのは、むしろ、リベラルであり左翼なのだ。若者、特に若い男性が保守化していると言われることがあるが、環境や人権、格差是正に関心を寄せる若者は決して少なくない。左派が躍進する土台は日本国内にも十分に存在している。ところが、元気一杯なのはもっぱら右派で、左派はまるで元気がない。百田氏のように自ら政党を立ち上げる気概も感じられない。

 日本では、左翼やリベラルの論客などは政治という泥臭い場所に下りていくことがどうも苦手らしい。評論家でいるうちは自分の理念を高らかに謳うことができる。だが、政党を作り政治家になると、理想ばかりを語っていられない。脱原発を主張しながら、政権に参加すると簡単には脱原発ができないという現実に直面し軌道修正を余儀なくされることもあろう、福祉の充実を公約に掲げながら予算や人員や場所の関係で公約を果たすことができないこともあろう。そして、その時、周囲からは変節したと批難される。政治家になれば正義の味方を演じ続けることはできない。ある意味、それが分かっているから、いつでも正義の味方を演じられる高所に留まり、地にある泥にまみれた政治の世界を避けているのかもしれない。かつて社会党が万年野党で満足していたのもそういう面があったのだろう。だが、それでは社会の改善は望めず、保守や右翼に国民の多くが流されて行ってしまう。現代の保守や右翼は戦前の右翼や軍政などのような危険な存在ではない。しかし、保守や右翼に政治を完全に支配されることは、先に述べたような日本の諸課題の解決を阻害する。少なくともリベラル、左翼が、保守、右翼とバランスしている必要がある。そのためには、既存の左派政党に期待できない以上、誰かが勇気をもって、泥をかぶり、下手をすれば笑いものにされることを覚悟のうえで、新しい左派政党を結成し政界に進出する必要がある。一定の支持を得られる、将来、日本維新の会に匹敵する左派の政党になれるような新しいリベラル、左翼政党の誕生が強く望まれる。


(2023/11/27記)


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