☆ 国民投票を ☆

井出薫

 憲法が施行されてから74年が過ぎようとしている。この間、一度として改正がなされたことがなく、改正の是非を問う国民投票も一度もない。それほど素晴らしい憲法なのだという意見もあるが、その分、人々の憲法への関心は薄い。

 憲法改正で常に一番の話題となるのは9条で、護憲派、改憲派の色分けも9条を維持するかしないかで決めることが多い。筆者は若い頃から9条を堅持すべきと考えてきたし、今でもそう考えている。その意味では、護憲派に属する。総じて護憲派は憲法改正案を国民投票にかけることを忌避してきた。筆者も同じだった。だが、最近は、国民投票をやった方が良いと感じるようになった。理由は幾つかある。

 まず、日本国憲法で国民投票が規定されているのは憲法改正だけで、その他の法律はすべて国会で制定・修正・廃止される。地方公共団体に関しては住民投票の制度があるが、投票は当該地域の住民だけに限られる。日本で、全国民が参加して法を決定するのは憲法改正だけなのだ。代議制とはいえ、国民が直接意思決定する国民投票は民主制を健全に維持するうえで極めて重要であり、参政権を具現化するうえでも欠かせない。だから、衆参両院で3分の2以上の賛成で可決された憲法改正案が国民投票にかけられることは極めて意義がある。改正案に反対ならば国民は投票で否決すればよい。9条の改正に反対する野党は、これまでひたすら国民投票に持ち込まれないように腐心してきた。だが、それはある意味自信のなさの表れでもある。9条改正案が国民投票に掛けられ可決されてしまうことが心配で、国民投票に臨むことができない。これが野党や護憲派の本音だった。筆者自身、安倍前政権の支持率が高かった頃、9条改正案が国民投票で可決されることを恐れた。だが、このような消極的、保身的ともいえる態度では、憲法の平和思想を真に生かすことはできない。事実、その結果、集団的自衛権まで合憲と解釈されるようになった。中国の台頭や北朝鮮の核開発もあり、今のままでは9条は条文こそそのままだが実質的に形骸化し何でもありになる恐れがある。ここで、9条改正案が国民投票に掛けられれば、国民は否応なく決断を迫られる。現行憲法の平和の理念を堅持し軍事力とその行使のための組織の存在を認めないか、それとも改正して安全保障の為に何らかの軍事的組織を公式に認めるか、その決断を国民自身が行うことになる。そして、それこそが真の意味での国民主権だと言える。国の防衛はまさに国民全員の生存と権利の維持に根源的に関わる問題だからだ。

 ほかにも国民投票を求める理由がある。現行憲法は極めて優れていると考えるが、それでも国内外の情勢変化で憲法が陳腐化していることは否めない。環境権、同性婚などは現行憲法の枠内でも肯定されるという解釈もあるが、明確ではない。現在、内閣総理大臣が7条を根拠に衆院を解散できるとされているが、解散権の行使と条件に関して明確な規定がないために、総理大臣が私利私欲、党利党略でいつでも解散できる状態になっている。幸い歴代の総理大臣はそこまで露骨な解散はしてこなかった。菅総理もその気になれば、就任直後支持率が極めて高かったときに解散を断行することもできたが、控えた。中曽根元総理の死んだふり解散はかなり強引な解散だったが、それでも高い内閣支持率、国鉄分割民営化という大義名分があった。だが、この先も節度が保たれるかどうかわからない。野党のスキャンダルをねつ造し、野党の支持率が落ち与党の支持率があがったときを狙って解散し圧倒的多数を獲得することも不可能ではない。参院があるが、参院で否決された法案も衆院で3分の2以上の賛成があれば可決・成立する。予算案は衆院が承認すれば参院の意向に関係なく確定する。かろうじて憲法改正は両院の3分の2以上の賛成が必要で、そこでは歯止めが効くが、衆院で圧倒的多数を占めることの力は極めて大きい。だから、こういうことがないように憲法上で、衆院の解散権について歯止めをかける条項を追加することには大きな意義がある。

 これまで筆者は緊急事態条項の追加には絶対反対の立場だったが、新型コロナの出現で少し考えが変わった。内閣に、緊急事に、緊急事態宣言を行い、あらかじめ定めた法律に従い一定の時期、一定の地域で必要最小限の範囲で国民の権利を制限し、同時に制限により蒙る国民の経済的損失等を補償することを義務化し、そのために緊急財政出動(政府が直接通貨を発行、または日銀から直接借り入れ)を行うことを容認する。今では、こういう内容の条項を追加することは現実的な選択肢と考えている。新型コロナでは休業補償が十分に行えないことで、行政側は休業要請または命令を躊躇し、休業を要請された事業者は経済的に苦境に陥り、従業員は失業し生計を維持することが難しくなった。その結果、感染を封じ込めることができず経済も大きく落ち込んだ。国会の承認を得た予算から休業補償等をするという現在の方式だと、財務官僚の抵抗、野党の異論反論に会い容易に補償が出来ない。緊急時には内閣に日銀からの借入権限または通貨発行権限を与え、同時に補償を憲法上で義務化することで、休業命令等と補償がセットとなり、スムーズに規制措置が可能となる。もちろん、緊急事態条項には内閣に巨大な権限を与えることになる、恣意的に発動される危険性があるなど多くの課題があり、十分な議論が必要であることは言うまでもない。法律による十分な歯止め、国会による緊急事態宣言とそれに伴う様々な措置の妥当性の検証などが欠かせない。しかしながら、新型コロナのような緊急事態が今後も起きうることを考えれば、緊急事態条項の追加を真摯に検討する必要がある。

 日本国憲法はいま曲がり角に来ている。そして、そのことを国民全員が認識し、真摯に考え、議論をすることが欠かせない。そのための最良の方法が、憲法改正に関して国民投票を実施することだ。確かに、イギリスのEU離脱などを見ると、国民投票が本当によい方策なのか、国民は良い選択をすることができるのか、など疑問はある。9条維持派は、中国や北朝鮮の脅威などを背景に、国民が9条改正に短絡的に賛成してしまうことを恐れるかもしれない。だが、民主制を成熟させるためには、国民が直接的に国家の根幹に関わる重大案件に関与するという経験を積むことが欠かせない。さもないと、いつまで経っても、政治はお上の仕事という意識が消えることはない。護憲派野党も自民党の改憲案に反対するだけではなく、これからは9条以外の現行憲法の課題を吟味し改正案を策定し、自民党の改正案と合わせて、国民投票を行うという姿勢を取ることが必要になる。それは確かに国民が不適切な選択をするというリスクを伴う。しかし、リスクを回避してばかりでは民主制の改善はなく、衆愚制への後退の恐れが強くなる。


(2021/4/25記)


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