☆ ブラックホールと平和 ☆

井出薫

 今年のノーベル物理学賞はブラックホールの理論的研究で特異点定理という画期的な理論を構築したペンローズ氏と、銀河の中心に超巨大ブラックホールが存在することを発見したゲスとゲンツェル両氏に授与された。ペンローズは、ブラックホールの特異点定理だけではなく、ペンローズタイル、ツイスター理論など多くの画期的な業績をあげ、物理学に興味を持つ者なら知らない者はいないほど著名な天才物理学者で、なぜノーベル賞が授与されないのか不思議に思われていた。量子脳理論を提唱した著作『皇帝の新しい心』(1994、みすず書房、原書は1989に発行)で氏の名前を憶えている読者もいるだろう。特異点定理を証明したのは前世紀の65年、それから実に55年の月日が経っており、ノーベル賞を受賞できないままに終わるのではないかと危惧する向きもあった(筆者もそう思っていた)。それだけに、氏の受賞は誠に喜ばしい。

 ブラックホールは、アインシュタインの一般相対論(1916年)の厳密解に含まれる。シュバルツシルド解、カー解はよく知られており、他にも、富松・佐藤の解などがある。つまり、一般相対論はブラックホールの存在を予言する。しかし、アインシュタイン自身は、現実の宇宙にはブラックホールは存在せず、単に理論的な産物に過ぎないと信じていた。最初にブラックホールが実在することを示唆したのが、インド生まれのノーベル物理学賞受賞者チャンドラセカールで、電子や中性子の縮退圧で支えられる質量には限界(「チャンドラセカール限界」と言われる)があることを証明した。このことから、大質量の恒星が核融合エネルギーを使い果たした後に重力崩壊によりブラックホールになる可能性があることが示される。だが、これだけでは、大質量の恒星がブラックホールになることが証明されたわけではなかった。現実の恒星は回転しており、構造も単純ではない。チャンドラセカールの師であったエディントンはブラックホールの存在を認めなかった。次に登場したのが、米国の原爆開発で中心的な役割を果たしたオッペンハイマーで、巨大な質量を持つ恒星がどのように進化し最後を迎えるかを数理的モデルを使って探求することで、ブラックホールが現実に存在することを強く印象付けた。このオッペンハイマーの研究成果で多くの物理学者がブラックホールの存在を真面目に受け取るようになった。そして、最後にペンローズが、重力崩壊する物質が必ず特異点に達することを数学的に証明し、ブラックホールの実在は決定的になり、その後、X線天文学の進歩で次々とブラックホールが発見されることになる。

 ブラックホールの歴史で重要な役来を果たしたオッペンハイマーは、原爆開発への参加を要請され、ブラックホール研究から離れた。オッペンハイマーは原爆開発で中心的な役割を果たし、原爆の父などと言われる。そのことから、オッペンハイマーを好戦的な科学者と誤解する者がいるが、違う。彼は原爆という超強力な兵器の存在が永遠に戦争を終息させると期待した。まさか、それが本当に使用されるとは考えていなかった。だが、原爆は使用された。使用されたとき、「物理学者は罪を知った」と述べたと言われる。そして、戦後は水爆反対運動を展開したが、妻と弟がアメリカ共産党員だったことと彼自身が党大会に出席したことからマッカーシーの赤狩りで公職追放の処分を受けることになる。戦争などなければ、戦争に協力しなければ、オッペンハイマーはノーベル物理学賞受賞者になっていただろう。気の毒としか言いようがない。

 同じような悲劇の科学者は少なくない。ノーベルもまたダイナマイトが戦争をなくすと期待した。しかし、実際は戦争をより悲惨なものにし、死の商人などと非難された。悔いたノーベルはノーベル賞を作り、得た富をそれに捧げた。空気中の窒素を固定しアンモニアを生成するハーバーボッシュ法を開発し、窒素肥料を通じて食糧の大増産を可能にし、人類に多大な貢献をしたハーバーは、ユダヤ人だったが熱烈な愛国者で、ドイツの速やかな勝利を願って毒ガス研究を行った。妻はその研究に反対し、毒ガスが戦場で使用されたことを知り自殺した。友人のアインシュタインからも「才能の使い道を間違っている」と非難された。それでも、ドイツを愛するハーバーは研究を続けた。だが、皮肉にも、ナチスが台頭すると、ユダヤ人であるハーバーは、妻や友人を失ってまで尽くしてきた祖国ドイツを離れざるを得なくなり、失意のうちに亡くなった。

 日本学術会議の会員任命拒否が大きな話題となっている。自民党政権と日本学術会議は48年の会議創設以来、対立することが多かった。自民党特にタカ派と目される者たちが問題とするのが、日本学術会議が軍事目的の研究を厳しく制限していることだ。任命拒否を擁護する保守派の論客や一部報道機関なども、「防衛省の予算を使った研究を拒絶する日本学術会議こそ、学問の自由を侵害している」などと非難し、日本学術会議の改革を主張している。だが、科学者の研究が戦争に使われ、多くの悲劇を生んできたこと、今もなお、核兵器、生物兵器、化学兵器などが世界の人々に巨大な災厄と恐怖をもたらしていることを考えれば、軍事研究を拒否し、学問の自由とは平和のためのものでなければならないとする日本学術会議の姿勢は正しい。それは理系の学問だけではなく、文系についても言える。哲学思想や社会経済思想が、独裁や戦争を擁護することに利用され、人々の意識や行動に大きな影響を与えることは珍しくない。保守タカ派の論客は、「現実を見ろ!」と言い、平和主義者をお花畑論者として嘲笑するが、近視眼的な現実主義、中国や北朝鮮の脅威ばかりに目を遣る者たちには、戦争の悲惨さや非人道性、力による抑止には限界があることを見ようとしない。そして、もしそれが可能ならば、誰もが戦争で荒廃した世界や独裁社会に住むよりも、人々が協力して平和に暮らすお花畑に住みたいと願っているという紛れもない事実を真摯に受け取ろうとしない。

 戦争が終わってから75年が過ぎた。戦争の悲惨さと非人道性を身をもって体験した者は少なくなっている。そのこともあり、人々の間では、近視眼的な現実主義が蔓延り、平和や国家からの自由の重要性が看過されることが増えている。しかし、戦争や独裁などとは最も対極にあるように見える、ある意味で浮世離れした、まさにお花畑ですることが相応しいようにみえるブラックホールの研究の歴史にも、戦争に協力した科学者の悲劇が潜んでいる。時代がどのように変わろうとも、もし人類が平和な世界を望んでいるのであれば、科学はもっぱら平和目的に利用されるべきなのだ。


(2020/10/10記)


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