☆ 人工知能と生活 ☆

井出薫

 人工知能は金融など産業分野での応用が期待されている。しかし、人工知能が一番活躍するのは市民生活の場だと思う。

 高齢者の運転ミスによる交通事故が少なくないことから、行政は、高齢者に対して運転免許証の返納を推奨している。高齢になると判断の遅れが生じたり、疲れや体調不良で適切な判断ができなかったりすることが増える。だから、行政の対応は理解できる。しかし、運転することが一番の楽しみだと言う高齢者は少なくない。また地方では車が買い物など生活に欠かせない。核家族化が進み地方でも高齢者だけの世帯が増えており、免許証を返納したら生活に支障が出る。運転免許証を返納したがために家に籠りっきりになってしまったということも起こりうる。そこで、期待されるのが人工知能技術だ。高度な運転支援機能で高齢者でも安心して運転することができるようになる。状況を常に監視して、不適切な動作(ブレーキを踏むべき時にアクセルを踏む、など)に対して、それを強制的に修正する(運転者に警告を発して停車するなど)。また体調不良で運転が困難な状態に陥ったら自動的に自動運転モードに切り替わり、安全な場所で停車し救急車やパトカーなどを自動的に呼び出す。こういう機能が備われば高齢者でも安心して運転ができる。言うまでもなく、このような機能は高齢者以外でも役立ち、交通事故の数を格段に減らすことができる。

 認知症や知的な障がいをもった人たちの相手をすることは楽ではない。同じことを繰り返し聞かされたり、何度も同じことを説明しなくてはならなかったりするから、悪気がないことは分かっていても、苛々してしまうことが少なくない。また、面倒になって、相手の話しを無視してしまうこともある。経験豊富な介護士や看護士ですら、いつでも笑顔で対応できるという訳ではない。疲れた時や体調が優れない時など、キツイ言葉を発してしまうことがあるという。ここでも人工知能が活躍する。人工知能は人間と違い苛々することも、相手を無視することもない。だから、認知症や知的障害を持った人たちの言動のパターンを学習して、常に冷静で的確な対応ができる。もちろん人工知能にすべて任せることはできない。ロボット相手に話しをしても面白くないし、そんなことをされたら見捨てられたと感じ傷ついてしまう。そうではなくて、介護する者とされる者のコミュニケーションの場に人工知能を参加させる。それにより、コミュニケーションが円滑になり、互いにハッピーになる。介護する側が苛々しそうになったら、適切な合いの手を入れて宥める。介護される側が無視されて傷つきそうになったら、話しを聞いてあげたり、話すことを促したりする。また、ときには手助けを求めたりすることで、介護される側のプライドを守ることもできる。介護する者はしばしば介護される者を何もできない者として扱ってしまうことがある。相手が手助けをしてあげようとしているのに、自分で全て遣った方が手っ取り早いために、相手の申し出を無視してしまう。それにより、介護される側はプライドが傷つき、意気消沈してしまう。その点、人工知能ならば、こういうとき相手が遣ってくれることを見守り、感謝の意を示すことができる。それがプログラミングされた振る舞いに過ぎなかったとしても、感謝してもらえることは誰にとっても嬉しい。このような技術は介護を要する人たちだけではなく、一般家庭や健常者にも役立ち、人々の生活を平和で楽しいものにする。

 このように、人工知能は、経済成長に貢献するだけではなく、適切に設計すれば人々の生活をより良く、より楽しくする可能性を秘めている。そして、それこそが人工知能に期待されるべきものなのではないだろうか。


(H29/9/17記)


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