☆ 無駄とは何か ☆

井出薫

 「行政の無駄をなくし福祉を充実させる。」これが民主党の公約だ。だが無駄とは何だろう。

 「無駄にお金が使われている。」役所に限らず、私企業でも、家計でもよく使われる言葉だ。しかし、持ち手が変わるだけで、お金はけっしてなくなることはない。日銀が市中に流通する貨幣量を調整しているが、一般論的には貨幣が消えてなくなることはない。役所が支出すれば、それは誰かの収入になる。私が勤める会社の収益に占める政府支出の割合は小さいが、それでも馬鹿にはならない。その中にも当然見方によっては「無駄」な支出があるに違いない。それを削れば会社の収益は減り、役立たずの私の給与・賞与は真っ先に減らされる。減らされるだけならまだしも、解雇されるかもしれない。役立たずでも消費することで経済活動に貢献しているが、収入源が断たれたら、それもできなくなり、ただの社会のお荷物になる。

 「役人の数を減らせ!」これもよく聞く言葉だ。しかし、給与・賞与をもらう役人は消費しお金を支払う。そのお金の多くは民間の手に渡る。役人の数を減らす、あるいは給与・賞与を減らしたら民間の収入も減る。役人の待遇が良すぎるのが問題だという意見がある。しかしどの程度の収入が適切か査定することは難しい。いや難しいどころか、誰にもできない。市場で決めるなどと言っても、市場で収入が決まるのはスポーツ選手、芸術家、芸能人くらいだろう。だが高額の年棒を手にするトップクラスの者たちが果たしてそれに見合う社会的貢献をしているのか疑問だ。野球などに全く興味のない発展途上国の貧しい人々は、メジャーリーガートップクラスの年棒を聞いたら暴利だと怒るに違いない。誰かが私に「君は年収に相応しい仕事をしている自信があるか」と尋ねたら、自信を持って答えることができる。「していない」と。駄目人間は他人も駄目人間だと思いたがる、とよく指摘されるが、私だけが日本で唯一の駄目人間だとは考え難い。役人に限らず、収入に見合う仕事をしていない者は、日本の至る所に沢山いると思われる。

 経済活動に「無駄」などない。だから国や自治体の支出にも無駄などない。要は経済活動が社会を健全に保つことができるかどうかが問題なのだ。強いて「無駄」があると言うならば、健全に保つために役立たない支出のことを意味すると考えるしかない。だが何が社会を健全に保つことに役立つのか決めることは難しい。そもそも「社会の健全性」とは何かを決めることが極めて難しい。電車の中で携帯と睨めっこをしていることが健全なのか。野球選手が5億円もの年棒を得ることが健全なのか。ダムをたくさん作れば健全なのか。それとも逆にダム建設を全て止めれば健全になるのか。意見が一致することはないし、一致したところで10年後に後悔する可能性が高い。

 役人の肩を持つつもりは全くない。しかし、「霞が関の改革」とか「無駄な支出を削り福祉を充実させる」などという甘い囁きを信用して過大な期待はしない方がよい。定期的な政権交代は社会の停滞を打破するために良いことで、民主党政権には大いに期待する。ただ民主党のスローガンのほとんどは実現困難だと思うし、公約だからと言って固執されたらそれこそ国民生活に大打撃を与える。日本程度の経済水準になると、そう易々とは、諸々の懸案事項を解決することはできない。民主党に期待するだけではなく、国民自ら考える習慣を身につけることが、この際一番大切なことだと思う。さもないと国民そのものが無駄だと言われる。


(H21/10/6記)


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