☆ よおく見よう ☆

森有人

 「失望しても何も始まらない!代わりもいない!」
 ノムヒョン大統領の弾劾訴追案が可決した直後、韓国のとある市民社会研究者が語気を強めた。筆者の質問は、「大衆は、大統領に対し失望していないのか?」である。民主化を実現して15年の歳月が経過したこの国の市民の意志を強く感じさせるような回答でもあった。韓国の民主化の意志も、戦前から政治的に関与してきた日本の社会とどこかで一脈を通じるものがある。

 弾劾訴追案が成立したその翌日、韓国の市民運動のメッカといわれるソウル市庁舎の広場には、ロウソクの灯火を手にした3万人の声(前出研究者の推定では10万人)が地鳴りのように響いたという。「弾劾無効!」「民主制護持!」を口々に叫ぶ情景は、政治離れが顕著な日本では想像もできない。日本で断片的に報じられるTV映像では、学生や労働者だけでなく、子づれの若い家族が多数参加し、旧来の市民運動とは異なる雰囲気が醸し出されていた。

 「韓国の民衆運動は転換期を迎えているのです」。前出の研究者は続けて言う。韓国の民衆・市民運動は、全斗煥から盧泰愚(81−93)までの軍部独裁・形式的民主化時代を経て、金泳三政権以降、改革局面に突入。反独裁を掲げてきた民衆運動の基軸は空ろになりつつある。しかし、2年前の米兵による少女ひき逃げ事件を発端とする反米・親米論争、さらに今回の弾劾訴追反対に見るように、政治への民衆の熱い想いは衰えることなく続いている。まして、トラック一杯の数百億円という不正献金が明るみにでたハンナラ党はじめ保守系3党が、4月15日の総選挙を控えじり貧回避をねらいに、弾劾訴追案提出の愚策を講じたならば、これほど積年の苦労の末に民主制を勝ち得た民衆を愚弄するものはない。

 ソウル五輪開催の1988年、西大門刑務所が1908年の京城監獄以来の歴史を終えて博物館に衣更えしたが、ここを訪れる日本人はごく希で、足を踏み入れるには相当の覚悟がいる。拷問の残虐さについての展示は、“百聞は一見に如かず”ということにするが、抗日運動の左翼が根絶し、戦後の民衆・市民運動に継承されないまま今日に至ったことが分かる。“左”の存在しない現在の韓国政治と市民運動の特色と歴史的背景がここにある。

 だからといって、日本人がひたすら自虐的に朝鮮の民衆運動史を受け止める必要はない。反省だけなら、猿でもできる。朝鮮半島に地域的冷戦が残存しつつも、世界的な冷戦は終焉した。日本でも、左派陣営と市民運動の座標軸ががらがらと崩壊ないし液状状態をなしている。その構図は、隣国と変わりはない。日本にも断片的に伝えられる、弾劾訴追無効で盛り上がる韓国の市民運動に、2001年のサッカー・ワールドカップで見た民族特有の“お祭り騒ぎ”などと決め付け、冷めた視線を投げかけるよりは、ここはじっくり見据えるべき。改革もままならず閉塞感を増す日本の風土に、示唆するものも少なくないだろう。「失望しても…」は、日本と日本人にそのままま投げかけられた言葉かもしれない。

(H16/3/20記)


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