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春になると我が家の狭い庭にびっしりと雑草が生えてくる。以前は定期的に抜いていたが歳を取って面倒になり特段悪さをする訳ではないのでそのままにしてある。ただ全く放置していると足をとられて危険なので、邪魔になるところだけは抜いている。 雑草などという草はない。人の意思に関わりなく勝手に生えてくる草本植物を総称してそう言っているに過ぎない。雑草の立場からすれば「勝手に『雑』などと呼ぶな」だろう。人という存在は実に自分勝手で傲慢だ。利益があるかどうか、気に入るかどうかで、恣意的に「雑」とか「毒」とか「害」とか言っている。近年、我が家の雑草の主役はドクダミだが、その名にかかわらず健康効果がありドクダミ茶などはよく売れているらしい。ドクダミ茶の生産販売業者にとってはドクダミはなくてはならない存在で雑草などとは決して呼ばない。 それはさておき、雑草というと、踏まれても踏まれても生き延びる、抜いても抜いても生えてくることから、強さをイメージする者が多い。「雑草のように強いXX」などと引用されることも多い。しかし、実際の雑草は少し違う。 雑草の第一の特徴は多様性だ。単一の種だけが繁茂しているときには雑草と言わず種の名前で呼ばれる。ドクダミが圧倒的に多ければ雑草と呼ばず単にドクダミと呼ぶ。他の様々な草本植物が多数共存しているから雑草になる。雑草の第二の特徴は柔軟性だ。雑草は強いというより、しなやか、と言う方が相応しい。根が深く広がっているときには抜こうにも抜けないことがある。だが、その場合は根から抜くことを諦め根に近いところを鋏で切り取り後を強く踏みつけておけば暫くは姿を消す。少々踏まれても生き延びることは事実だが、踏まれたからと言って動物のように反撃してくることはない。だから雑草を強いと呼ぶのはいささか的外れな感がある。 それでも私たちは雑草=強いと感じることが多い。それは二つの特徴を併せ持つからだと思う。多様性があるから優占種を駆除しても暫くすると別の様々な種が蔓延ってくる。柔軟だから攻撃を受けても立ち直りが早い。毒を持つことで人など動物の攻撃を回避する草もあるが、その様な武器を持たなくとも草たちの多くはそのしなやかさで生き延びていく。私たちは雑草のこういったところに強さを感じる。 多様性と柔軟性は生態系が健全に育まれていくために欠かせない。両者を欠く生態系は僅かな擾乱ですぐに荒廃してしまう。自然生態系と人間社会はもちろん違う。しかし、地球に生きる限り似たところはある。人間社会も健全な状態を保つには多様性と柔軟性が欠かせない。たまには庭や道端の雑草を眺めながら、雑草にも学ぶべき点が多々あることに思いを巡らせるのもよいと思う。 了
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