☆ 我々は何をなぜ信じるのか ☆


 多くの一般市民は陰謀論や得体のしれない団体に嵌る者を奇異の目で見る。自分はそのようなことには決してならないと信じている。だが、私たちは彼と彼女たちを見下せるほど賢いのだろうか。

 化石燃料の大量消費による地球温暖化説を多くの者が信じている。トランプ米国大統領のようにそれを詐欺扱いする者は科学を知らない者と軽蔑される。しかし、筆者を含めて地球温暖化説を信じる一般市民は、地球温暖化の詳細なメカニズムを理解し他人に説明できるのか、また温暖化説の根拠となるデータや理論が信頼に足るものであるかどうか自分で確かめたのかと問われれば、大半の者は「いいえ」と答えることになる。「ではなぜ信じるのか」と問われれば「多くの専門家やメディアがそう言っている、それを多くの者が信じている、だから私も信じる」という答えになる。要するに付和雷同しているだけなのだ。AIの革新性やワクチンの有益性などについても同じことが言える。近年、話題になっている量子コンピュータなどはほとんど何も理解していない者が圧倒的多数であるにもかかわらず、多くの者が革命的な技術だと信じている。

 このことを考えれば、私たちは陰謀論や怪しげな団体に惑わされる者を愚か者だと笑うことはできない。特定宗教の熱心な信者である両親を持つ子どもは物心ついた頃から親の影響で自然とその宗教の教えが身についていく。周囲の多くの者が陰謀論を信じていると自分もいつの間にか陰謀論を信じるようになる。ネット時代ではエコーチェンバーやフィルターバブル効果で特定の意見だけに取り囲まれ知らず知らずのうちにそれに染まっていく。反ワクチンや地球温暖化懐疑論を唱える参政党の躍進などにもそれが現れている。

 デカルトは全てを疑ってみると宣言した。一方で、デカルトは日常生活においては全てを疑っていたら何もできなくなるから、多数意見=常識に従って行動することを勧める。確かに、多くの場合、常識は正しい。化石燃料の大量消費による地球温暖化説は100%確実とまでは言いきれないが正しいと考えて間違いない。だが常識が時代と共に常識でなくなることがあれば、非常識と思われていた見解が正しいことが分かり常識になることもある。地域により常識が異なることもある。日本の常識は外国では非常識とよく言われる。同じ時代、同じ地域でも思想や信仰の違いで常識が異なることもある。それゆえ常識に従って行動せよと言われても、何をするべきか、何を信じるべきかは決まらない。

 それゆえ、誰もが陰謀論、怪しげな団体とその思想に嵌り、それを頑なに信じて行動するようになる可能性がある。周囲にそういう者がいたら、考えを見直すように忠告するとともに、自分もいつそうなるか分からないと肝に銘じておく必要がある。


(2025/11/6記)


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