☆ 思想の衰退 ☆


 新聞、雑誌、ネットなどを見ていると思想の衰退をつくづく感じる。筆者は前世紀の50年代生まれだが、若いころには、保守思想家と言えば福田恒存、リベラル思想家と言えば丸山眞男、左翼思想家と言えば廣松渉など、それぞれの思想傾向を代表する思想家が存在し、若者たちの注目を集めていた。彼らの思想が正しかったかどうかは意見が分かれる、今でも価値があるかと言えば疑問がある。それでも、そこには透徹した思索があった。支持するにしろ批判するにしろ、彼らの著作には、それを丹念に読み解き、咀嚼し、吟味する価値があった。今現在、彼らに匹敵する人物がいるだろうか。いるとは思えない。議論を拒否し反対派に侮蔑的なレッテルを貼り扱き下ろす、特定の人物を罵倒して悦に入る、ただでさえ意味が不明確なフランスのポストモダニズムをさらに不明確にして和風ドレッシングを加え、知的な雰囲気に浸りたいだけで本を買う読者を幻惑する、こういう者たちばかりが目に付く。

 第二次安部内閣以降の安部政権時代、安部を支持する者は20代、30代の若者に多かった。安部の国葬でも反対する者は高齢者に多く、若者は支持する者が多かった。これをもって日本の若者は保守化していると評する者がいる。確かに、米国では民主社会主義を提唱するサンダースが、フランスでは急進左派のメランションが人権、環境、格差解消を重視する若者たちの心を掴み、左翼が無視できない政治勢力となっている。それと比較すると、日本の若者は保守的に見える。だが、それはおそらく皮相的な見方に過ぎない。日本でも、若者は高齢者や50代以上の準高齢者が政財官、マスコミなどあらゆる社会分野で支配権を握り既得権益維持に奔走する現状を変えたいと願っている。だが、それに応える左翼またはリベラルな思想、思想家、それに立脚する政治家がいない。だから、自民党の牙城を崩せない。せめて、リベラルや左翼に、人間らしく好かれる政治家がいればよいのだが、そういう人物も見当たらない。一方、安部晋三は一部のリベラルや左翼からは毛嫌いされたが、総じて言えば好かれる政治家だった。選挙演説中に傍らから批難の大合唱を浴び「あんな人たちには負けない!」とむきになり、スワローズファン・アンチ巨人を公言し長嶋茂雄と松井秀喜に国民栄誉賞を授与した際には「私はアンチ巨人だが貴方たちのプレイには感動した」とユーモア溢れるスピーチをし、「私は至らないところの多い人間です」と素直に認めるなど、人間らしさ親しみやすさを感じさせた。そういう安倍晋三に多くの若者たちは共感した。地球儀外交と称して世界を周り日本の存在をアピールし、高等教育の無償化など教育負担の軽減を進め、経団連など経済団体に賃上げを要請する姿に若者は保守タカ派というよりも改革者の姿を見た。ある意味、岸田首相の不人気、特に若年層での不人気がそれを如実に示している。安倍の国葬を決めた当事者なのに、国葬での首相の追悼演説は淡白でおよそ心の籠ったものではなかった。それは菅前首相と国会での野田元首相の心の籠った追悼演説とは著しい対照をなしていた。岸田と安部は初当選同期で仲良しだったのではないのか、友人の死が悲しくないのかと疑問を感じたことを覚えている。こういう人物には人は共感することはない。ところが、左翼やリベラルの批評家たちなどは、安部の強みと安部を支持する若者たちの心情を理解せず、「安部は愚かで、安部を支持する者も愚かだ」という上から目線の安部叩きに終始し自らの思想の深堀をしない。自分たちの愚かさや思想の浅薄さに気づかない。その結果、左翼やリベラルは一部のシンパを除く多数の若者たちから見放された。

 米国や欧州各国では左翼が台頭する一方で右翼も台頭している。右翼台頭の背景には移民・難民問題がある。だが、日本では移民・難民問題は今のところ大きな政治課題や政治対立の種になっていない。しかも、欧米ほどではないにしても、日本でも環境、人権、格差解消に関心を持つ若者が確実に増えている。だから、保守や右翼ではなく、リベラルや左翼が伸びてもおかしくない、と言うより伸びてしかるべきなのだ。それができていないのは正に思想の貧困が原因と言える。情報社会の中で長期政権を誇る自民党は極めて有利な立場にある。野党や反自民のリベラルや左翼よりも圧倒的に発信される情報量が多いからだ。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日刊ゲンダイなどは政府批判や自民党批判の記事が多いが、それでも伝える情報が政府や自民党に偏っていることで、自民党支配を再生産することに寄与している。だからこそ、野党やリベラル、左翼は、それに打ち勝つためには思想を深め、人々の支持を、特に若者の支持を得ることが必要になる。刺殺された浅沼稲次郎元社会党委員長のような広く大衆から好かれる政治家が登場すれば、一時的には支持を増やすことができる。だが、それだけでは長続きはしない。長期政権下のなか「自民党=政権政党」という思考枠が保守派の市民だけではなく左翼やリベラルを支持する市民にも深く根付いているからだ。

 情報技術が進歩、普及し、誰もが情報発信でき、しかもそれが瞬時に全国に伝わる現代、過去のような強靭な思索とそこから生まれる深い思想を期待するのは無い物ねだりなのかもしれない。目を引くが浅薄な思想、一時的に脚光を浴びてもすぐに忘れ去られる思想が主流になるのは時代の必然とも言える。マルクス、ニーチェ、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、フーコーなどが依然として重要な思想家として市場を流通している事実がそれを証しする。だが、いまのままでよいわけではない。国内では少子高齢化が急速に進み、経済や社会保障が危機に瀕し、国際社会は世界が協力しない限り解決不可能な環境問題や格差是正が喫緊の課題であるにも関わらず、米中対立、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻などで世界の分断が広がるという非常に厳しい状況にある。だからこそ、社会のあらゆる領域でその在り方を変革する必要がある。そのためには現状を的確に認識し未来を展望する深い思想が必要で、特に今の日本では左翼やリベラルに思想の刷新、深化が求められている。


(2023/11/17記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.