☆ 現実は ☆


 悪いことは重なるとよく言われる。先日、それを痛感する出来事があった。パソコンの動作がおかしくなった。オフィスが動かない、再インストールで回復したが、次は突然WiFiが使えなくなる。それもアダプターの再インストールで回復したが、またオフィスが動かなくなり、ついにはシャットダウンも再起動もできなくなり、強制的な電源オフをして再起動したが、カーソルが固まったまま動かない。考えられる方法をあれこれ試したが、状況は悪くなる一方だった。これまで酷使してきた。台所の机の上、しかも炊飯器の傍で常時使い、これまで幾度となく強制断を行い、あろうことか、お茶をキーボードの上にこぼしたこともある。ハードウェアが限界だったのだろう、諦めるしかなかった。痛恨なのは、メールのバックアップを取っていなかったことだ。業務用で使っていたわけではなく、消失して困るメールなどないのだが、アドレス帳が消えたのが泣けてくる。現役引退以降、顔を合わせることがなくなった友や元同僚などとのコミュニケーションはほとんどメールで、アドレス帳がなくなったのは痛い。若い人たちはLINEを使い、電子メールを使うことは少ないから、別に大きな不都合は生じない。だが、年寄りは電子メールを使う者が多く、LINEやSNSでは連絡がつかない。

 絶望的な気分で、動かなくなったパソコンの画面の前で佇んでいると、突然、メガネが顔からずり落ちた。見るとフレームのテンプル部分を止めるねじが外れている。ねじを探して見つかったので、小型のドライバを使ってネジ止めをしようとするが、生来の不器用さも手伝って上手くいかない。30分あまり悪戦苦闘したが一向に上手くいく気配はなく、とうとう諦め、購入したメガネ店で修理してもらうことにした。だが、すでに夕刻を過ぎ、店は閉まっている。やむなく、その日は一晩、近くの物を見る時使うメガネで我慢した。だがテレビがぼやける。パソコンも駄目、テレビも駄目、惨憺たる有様だ。悪いことは重なる。

 日頃、情報機器や家電製品、メガネなどテクノロジーの恩恵を如何に多く蒙っているのかを痛烈に再認識させられた。哲学的思索や哲学的批判などというものが議論のための議論、趣味の域を出ることなく、現実世界では無力であることを思い知らされ、気が滅入る。実は哲学で世界を改造することは可能なのか、という大それた論考をし、それをパソコンで文章にしようとしていた矢先だったのだ。幻想はパソコンとメガネのフレームで呆気なく打ち砕かれた。

 翌日、眼鏡店に行くと無料で修理してくれた。パソコンもスマホから注文した新品が届いた。ここでもテクノロジーが如何に社会を支配しているかを再認識するしかなかった。テクノロジーのおかげで悪いことが重なっても何とかなる。だが、テクノロジーを哲学的思索や批判で管理・制御することなどできない。だとすると、哲学の可能性には疑問が付く。まあ、そんなことを言っても詮無いことなのだが。


(2023/7/10記)


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