☆ 労働 ☆


 英語ではLabor、ドイツ語ではArbeit、日本語では労働。読者は、労働という言葉に何を感じるだろうか。

 労働は尊いという意見がある。一方で、労働は仕方なしにやることに過ぎないという意見もある。

 マルクスは、労働を高く評価し、労働の二つの側面−具体的有用労働と抽象的人間労働−がそれぞれ商品の使用価値と価値を生み出し、定量的には労働時間が商品価値を決めると考えた(労働価値説)。そして、労働者こそが社会の担い手であり、来るべき未来には、労働者階級が権力を掌握し、やがて階級のない公正で自由な社会、共産主義社会が実現されると宣言し、20世紀に巨大な影響を与えることになった。マルクスには批判的だったが、シモーヌ・ヴェイユも労働を神聖な行為だと高く評価した。

 一方、古代ギリシャの偉大な哲学者アリストテレスは労働は奴隷の役目であり、良識ある市民に相応しいことではないと考えた。20世紀においても、アーレントは、労働は生物的な欲求に基づく活動に過ぎず、人間の3つの能動的な活動−行為、仕事、労働−の中で最も低級なものだとみなした。

 マルクス、ヴェイユ、アリストテレス、アーレント、それぞれ、労働という概念の捉え方が異なり、だれが正しいかを議論することはあまり意味がない。それゆえ、ここでは、労働に関しては偉大な思想家たちにおいても相反する見方があるということを確認しておくだけにする。

 では、現代の日本人にとって、労働とはどのような意味を持つだろうか、尊いものだろうか、尊いものではなくただ遣らないとならないから遣るだけのものだろうか。もちろん、人によって意見は分かれる。しかし、総じて、労働は尊いという考えが日本では支配的だったと言えるのではないだろうか。マルクスに傾倒する者は半世紀前と比べると大きく減った。しかし、マルクスの人気は依然として高く、近年でも関連する著作が多数出版されている。今でも、労働者こそ社会の主人公(であるべき)という考えには根強い支持がある。また、政治家、エリート官僚、大企業の経営者などは、ドラマでは、悪役や敵役にされることが多く、好意的に描かれることは少ない。これらの階層の人々は、額に汗して働くことはなく、空調が利いた広い部屋で権力を行使し他人に指図するばかりで自分では何もしないという印象がある。そこには一般市民の妬みの感情が働いていることは否定できないが、彼と彼女たちが労働をする者たちではないことは間違いない。そして、それゆえに悪役、敵役にされる。ときには、これらの階層の者がヒーロー、ヒロインとなることもあるが、その場合、その者は、肩書や富に似つかず謙虚で、明るく、よく働き、他人に優しく、しかも強くて賢いという人物に設定されている。肩書はすごいが、その本質は優れた労働者という位置づけがなされていると言えよう。だから読者、視聴者から支持される。

 このような日本人の労働を尊ぶという倫理観は、経済の発展を支え、同時に、過労死や過労自殺を生み出してきたとも言える。しかし、これからもそれが続くかどうかは分からない。労働の多くはコンピュータやコンピュータ制御の機械で置き換わっていく。労働時間が短縮され、労働の質も変化していけば、日本人も、その労働観、倫理観が変わっていくに違いない。ただし、それがどのようなものになり、それが良い社会を生むのかどうかは分からない。


(H30/9/10記)


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