☆ マルクスの限界と可能性、モデル・道具論 ☆

井出 薫

 マルクス『資本論』は現代においても読む価値が十分にあるが、当然に時代的な制約がある。その制約を無視してマルクスを神格化し現状分析が出来なくなっているところに現在の左翼知識人の弱点がある。

 『資本論』は第1巻「資本の生産過程」が1867年に刊行された。これはマルクス自身の手で刊行された唯一のパートで、第2巻「資本の流通過程」は1883年65歳で亡くなったマルクスの遺稿をエンゲルスが編纂して85年に刊行した。第3巻「資本主義的生産様式の総過程」は未完成の部分が多く、エンゲルスが大幅に手を入れることで、漸く93年に刊行された。因みにエンゲルスは95年にこの世を去っている。なお第4巻として予定されていた学説史は20世紀に入ってから『剰余価値学説史』の題名で独立した著作として刊行されている。

 『資本論』の内容は1840年代後半から60年代に掛けてマルクスにより生み出された。当時と現在では経済規模、市場や金融システム、政治体制、経済学理論などに大きな違いがあり、『資本論』の論理を現在に直接適用することには無理がある。『資本論』を読み、現代経済学(マルクス経済学者に言わせると「ブルジョア経済学」)と比較するとすぐに気が付く点が二つある。一つは価格決定のメカニズムが『資本論』には欠けていること(注)、そして政府の経済政策の影響が無視されていること、この二点だ。現在のミクロ経済学に決定的な影響を与えたメンガー、ワルラス、ジェボンスなどによる限界効用と限界費用から価格と生産量の決定メカニズムを数理学的に説明する限界理論が登場するのは『資本論』第1巻刊行の後であり、政府の経済への介入の重要性を説いたケインズ革命は20世紀の大恐慌の後に起きている。当然にマルクスはこれらの成果を知らず、『資本論』の理論体系に組み込まれていない。その結果、マルクスは景気循環と恐慌を資本主義の必然としながらも、そのメカニズムを解明することができず、その解明は後世の宿題として残された。そして、マルクス主義経済学がその宿題を終える前に、資本主義は合理化され、現在ではリーマンショックのような事例はあるものの1930年代のような破滅的な経済崩壊が起きることはなくなった。また、不況やインフレ時の政府の経済政策についてもマルクス経済学は説得力のある議論を展開することができない。『資本論』にはこのような限界があることは左翼も弁えておく必要がある。それを弁えないから空理空論として人々から相手にされなくなる。
(注)『資本論』では価格に先立ち価格を統制する存在として(商品)価値(商品の生産に必要となる社会的平均労働時間で規定される。基本的に平均労働時間と価値は比例関係にあると想定されている)という概念が定立される。さらに価値と価格との間には差異があることが意識されており、第3巻では商品は価値どおりに売買されるのではなく、生産価格(「費用+平均利潤」を商品の数量で割った額)で売買されると論じられている。しかし、価値と価格の関係特に価格の変動の様態が明確に説明されておらず、ただ「一国経済における総価格=総価値」という大雑把な説明しか見当たらない。また現実の市場で起きる絶え間ない価格変動のメカニズムも明らかにされていない。それは無理もないことで、『資本論』が書かれた時代にはそれらの課題を解決する理論的なモデル・道具が存在しなかった。

 このように『資本論』は現代世界においては有効性に大きな限界がある。それでも『資本論』の価値がなくなったわけではない。『資本論』の核心は価格決定や政府の介入の解明ではなく、「資本主義はなぜ成り立つのか」ということの解明にある。マルクスは労働力の持ち主である労働者が生産現場で生み出す剰余価値が資本家に搾取され、さらにそれが産業資本家、金融資本家、大土地所有者の利潤、利子、地代へと分割されることで、資本主義が成立すると説明する。このマルクスの説明は多くの難点があり正しい答えであるとは言い難い。しかし、現代経済学は資本主義を自明の前提として扱い、それを根源的に批判することなく、あくまで資本主義の枠組みの中で経済的な諸問題を理解し解決しようする。そのため現代経済学は資本主義の拠って立つところの社会的基盤について根源的・批判的に分析し解明することができない。なるほど現代経済学においても「市場の失敗と政府の役割」として環境問題、独占の問題など資本主義の欠陥についての議論が存在し、また対策も示してはいる。しかし資本主義を自明の前提としているために現代経済学から導かれる経済政策は弥縫策に留まる。『資本論』だけでは現代世界を解明することも、諸問題を解決することもできない。しかし、資本主義の成立基盤を徹底的に解明しようとする『資本論』に学ぶべき点は多い。なぜなら自明の前提とされるものを根源的に疑うことで初めてよりよい新しい社会への展望が開かれるからだ。

 なお、モデル・道具論的な観点からすると、現代経済学はもっぱら資本主義社会の市場経済メカニズムを対象としたモデル・道具であり、資本主義社会の様々な領域たとえば政治や文化、イデオロギー、歴史、自然環境などを包括したモデル・道具となりえていない。そのために、そこから導かれる帰結は平時に成り立つ暫定的かつ近似的な解でしかなく、多くの場合、将来を予測することに失敗し、人々の福利の向上に貢献せず、調和ある社会の実現にも寄与できない。一方、『資本論』を中心とするマルクスの思想は、より広い射程、資本主義社会全般を歴史的な視点と自然環境との相互作用の観点も含めた形で包括的に扱うモデル・道具群となっている。それは確かに現代においては時代遅れ、誤りである点が多いとは言え、資本主義を根源的かつ批判的に解明し未来への展望を開く力は現代経済学より遥かに大きい。マルクスに触発されながらマルクスを超えようとしたカール・ポランニーなどにその試みをみることができる。また現代の思想家たち、トマ・ピケティ、マルクス・ガブリエル、斎藤幸平などの思想も、マルクス的なモデル・道具群が重要な役割を果たしている。


(2026/9/3記)

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