☆ 技術と科学、モデル・道具論 ☆

井出 薫

 現代において、技術は科学技術という言葉で語られることが多く、技術とは科学の応用であると説明されることもある。そして、多くの場合、科学は自然科学を意味している。確かに、現代において、多くの分野で科学と技術は密接に結びついている。mRNAワクチンは、RNA、免疫系、ウィルスなどに関する科学的な知見と感染症予防という技術の複合物と捉えられる。mRNAワクチンを科学か技術かと問うことには大した意味はない。

 しかし、元来、技術は科学とは独立した営みだった。それが近代以降、両者が大きく接近することになった。近代以前は、技術とは様々な共同体において適宜改良が加えられながら継承されてきた技術的知と道具からなるものであり、近代的な体系化された科学的な知に基づくものではなく身近な経験に基づき生み出されたものだった。それは身体の延長でもあった。一方、科学は絶対的な知の探究を目指し、古代においては哲学の一分野として存在し、その後も近代に至るまでは技術とは独立した営みとして存在した。知を得るには実験など実証的な方法ではなく思弁が何より重要とされ、そこでは技術的な応用は重視されておらず純粋な知の探究が目指された。それが、西洋近代以降、近代的な物理学の誕生と産業革命を通じて、科学と技術は急接近する。技術は科学的な知見を援用することが多くなりそれにより飛躍的な進歩を遂げることになる。一方、科学は技術の産物を積極的に活用することでこちらも飛躍的な進歩をなし遂げた。近代以降、知の探究は古代ギリシャのテオリアとは異質な近代技術と密接に関連する近代科学として進化を遂げ、今もその進化は目覚ましい勢いで続いている。

 それでも、その出自の違いが完全に解消されることはない。科学は真理を求め、正しいか否かが評価基準となる。一方、技術は有用性を求め役立つか否か(目的に適うか否か)が評価基準となる。近代の自然科学は目的論的説明を徹底的に排除し、数理学的合理性と実証性を重視することで目覚ましい進化を遂げた。しかし技術は常に目的と共に在る。目的のない技術はない。共同体の必需品だけではなく、儀式や祭礼のための技術、信仰のための技術、娯楽のための技術などいずれもそれぞれの分野ごとの具体的な目的を持つ。科学は普遍性・体系性を重視し絶対的な知を求める。個別特殊な知はより普遍的で客観的な体系の一領域として位置づけされる−ただし位置付けることが上手くいくとは限らない。技術はそれに対して、あくまでも個別特殊的な存在に留まる。冷蔵庫とテレビは違う。スマホと自動車も違う。水力発電と火力発電と原子力発電は、蒸気を使うタービンと発電機という部分は共通しているが、熱を発生させ蒸気を作り出す仕組みは大きく異なる。科学では確立した学説や理論は非常に高い信頼性・確実性を有するが、技術には常に不確実性・脆弱性が付き纏う。絶対に故障しないハードウェアを製造することはできない。数学的に厳密に証明されているとおりソフトウェアにバグがないことを確証する方法はない(つまり常にバグが存在する恐れがある、現実問題としても規模の大きなソフトウェアでは必ず複数のバグがある)、ミスを犯さない人間はいない。AIを活用してもAIも人間と同様に有限の情報から判断することを迫られるからミスを犯す確率をゼロにはできない。設計ミス、製造ミス、運用ミスあらゆる工程でミスが発生する。技術の産物はそれゆえ不確実性と脆弱性を避けることはできない。もちろん慎重に開発製造運用が行われているからたいていは正常に稼働する。しかし、頻度は低くとも社会に大混乱を起こすような事故が絶え間なく起きる。携帯電話が全国的に通じなくなる、広域停電が発生する、電池が爆発する、電車が脱線する、大規模な情報漏洩が起きる、など事故が絶えることはない。一般に科学は特定の課題に対して一つ又は少数の理論を活用する。惑星の運動を正確に説明・予測するには古典力学と一般相対論を使用する以外方法はない。一方、技術は同じ目的に対して多数の実現手段がある。先に挙げた発電がその一例だが、他にも多数事例を挙げることができる。たとえば近所への移動には、自転車、電動キックボード、バイク、自家用車、公共交通機関など複数の手段が存在する。

 現代においても、技術を科学の応用とする思想は正しいとは言えない。半導体を正確に理解するには量子力学が不可欠だが、量子力学が確立する百年前から半導体の存在は知られており、その技術的応用が試みられていた。トランジスターの発明には量子力学が大きく貢献しているが、同時に過去の技術の積み重ねがそれに劣らぬ大きな貢献をしている。医薬品には効果が現れる機序が科学的に解明されていないにもかかわらず経験的に有用であるがゆえに使用されているものが少なくない。宇宙の大規模構造と銀河形成、恒星進化と超新星爆発、気候変動などコンピュータシミュレーションという技術なしには存在しえない科学分野もある。そこでは寧ろ科学が技術の応用と言ってもよい。

 それでも、現代において科学と技術が分かちがたく結びついていることは間違いない。それをモデル・道具論的に見るとどうなるだろうか。現代の技術と科学を見るとき、モデル・道具論において科学がモデルという側面を代表し、技術が道具という側面を代表すると言ってよい場合がある。最初に取り上げたmRNAワクチンなどは典型例と言ってよい。将来の発展が期待される量子コンピュータも同じことが言える。それでも技術は科学とは独立した営みであり、すべてが科学と結びつくことはない。多くの技術は今でも技術的な知と設計図・説明書などというモデル的側面と具体的な道具機械とその活用という道具的側面の複合体であり、多くの科学は科学的な理論や学説というモデルであり、同時に個別の事象を説明・予測したり新しい理論や学説を作ったりするための道具でもある。技術も科学もそれぞれ自律したモデル・道具であり、両者が常に合体している訳ではない。技術というモデル・道具が科学のモデル・道具の生成と活用に貢献し、その逆の場合もある。現代においては、この両者の相互作用が極めて顕著であり、それが科学技術という表現が一般的になっている理由でもある。しかし、それでも現代においても、技術と科学はオーバーラップすることが極めて多いとは言え、両者は異質な営みであり、そこにあるモデル・道具が異質な性質を持つことに変わりはない。技術と科学の関連を問うことは重要だが、両者の異質性を問うことも重要であることを忘れてはならない。科学的な根拠に基づき確立された技術でも事故など不具合が起きることを完全に防ぐことはできない。


(2026/7/27記)

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