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井出 薫
他者という言葉は多様な使い方をされる。自分以外のすべての他人を他者ということもあるし、異なる共同体(国家、宗派、地域、階級、階層、親族など。この中には制度化されたものと自然発生的なものとがある)に属する者を指すこともある。ジェンダー論では男女を互いに他者として捉えて議論されることがある。GLBTQでも同じことが言えよう。しかし、いずれにしろ、モデル・道具論において他者という視点は極めて重要になる。モデル・道具には原初的で私的なものがあるが、本格的なモデル・道具として現れるためには、他者との共有に成功しそれが拡大することで共同体において広く共有されることが欠かせないからだ。 モデル・道具が共有されるにはコミュニケーションと共同作業とが欠かせないが、他者とのコミュケーションと共同作業によりモデル・道具が共有化されるには何が必要だろうか。最初に最も簡単な他者概念つまり自分以外のすべての者を他者とする立場(他者=他人)を前提に考察する。まず、両者で事前に共有されているモデル・道具が存在する必要がある。共有するモデル・道具が全く存在しない場合、コミュニケーションも共同作業も不可能になる。互いに知らない言葉を話し、全く異なる環境で生きていた者同士でモデル・道具を交換し共有することにはしばしば困難が伴う。事前に共有するモデル・道具が乏しいためコミュニケーションや共同作業が円滑に進まない。だが、それでも絶対にモデル・道具の交換、共有が不可能ということはない。すべての人間は生物としての共通性を有し、それが原初的な共有されたモデル・道具として機能し、身振り手振り、表情などを通じてモデル・道具の交換と共有の手掛かりが生まれる。たとえば喉が渇く、腹が減る、痛みを感じる、寒い、暑い、怪我をしている、など自然的条件に関しては、どのような言葉を話し、どのような環境で育った者でも、振る舞いや表情などは共通していることが多い。相手が寒さで震えていれば服を貸してやるし、相手の様子から喉が渇いていると察知したときには飲み物を与える。こうした自然的条件に関する共通性を手掛かりにしてモデル・道具を交換し共有することができるため、モデル・道具の共有が全く不可能ということはない。これまで出会ったことがなかった未開部落の人々の行動や言葉も時間をかけてコミュニケーションに努めていけば、いずれ分かりあい言葉も理解できるようになる。それは正に自然的条件の共通性、自然的なモデル・道具の共有によるものと言ってよい。ただし、こういう状況では、モデル・道具の共有には長い時間と忍耐が必要となる。また、互いに理解しあったつもりで理解できていなかったり、誤解していたりすることが多くなる。事前に共有されているモデル・道具が多ければ多いほど、新たなモデル・道具の共有は容易になる。家族間ではモデル・道具の共有は容易で、外国人よりも自国民との間の方がモデル・道具の共有は大抵の場合容易い。 しかしながら、他者とのモデル・道具の共有には様々な壁があり、たとえ身近な者でも共有が上手くいかないことがある。そして両者の関係性が薄くなるにつれて、モデル・道具の共有は難しくなる。その理由は様々なものがあるが、幾つかの要因について考察してみる。 まず、私的あるいは少人数のグループで共有されているモデル・道具にはしばしば誤っていたり不適切であったりするものがある。誤った地図、不確かな記憶、不適切な礼儀作法、迷信などが例として挙げられる。さらに世間を騒がす陰謀論など一時期広く共有される不適切なモデル・道具も存在する。このような誤ったあるいは不適切なモデル・道具はモデル・道具の適切な共有の阻害要因になる。たとえばワクチンに関する誤った考え(それも一つのモデル・道具として機能する)が広がり、ワクチンの有効性を示すモデル・道具の共有を妨げ、感染症対策に支障をきたすことがある。他にも、不適切なモデル・道具は多数存在し、適切なモデル・道具の普及を阻害することが少なくない。この問題は、多数の者がモデル・道具を吟味することで解決することができる。しかし、一般市民は十分な知識や情報を持たないことが多く、しばしば気に入った意見に迎合したり有力者の意見を鵜呑みにしたりする。その結果、不適切なモデル・道具を排除できない。むしろ、時と共に共有範囲が拡大することすらある。誤ったあるいは不適切なモデル・道具は多くの場合人々に害をもたらしそれが妥当なものでないことが判明し最終的には淘汰させる。しかし、長く不適切なモデル・道具が共有され災厄をもたらすこともある。 コミュニケーションには誤解の可能性が付き纏う。誤解を完全に避けることはできない。特に使用言語や育った環境や体験が大きく異なる場合には誤解の可能性は増大する。誤解していることがすぐに判明すればよいが、長く誤解したままの場合、誤ったモデル・道具が広がる恐れがある。そして、正しく伝わった場合と誤解された場合が共存することで人々の間で思わぬ軋轢を生み出すことがある。この問題はコミュニケーションの場に複数の者特に中立的で深い見識がある者が立ち会うことで回避することができる。しかし、現実のコミュニケーションにおいて常にその条件を満たすことはできない。それゆえ誤解がそのまま広がり様々な軋轢を生むことは避けがたく、それを完全に回避する方法はない。 人は嘘を吐き他者を欺くことがある。これはこれまで述べてきた不適切なモデル・道具、誤解による混乱と似た面があるが、違うところがある。嘘を吐いた当人は真実つまり適切なモデル・道具を知っているにもかかわらず、何らかの意図で他人を欺き不適切なモデル・道具を信じ込ませ、それが流布されることで生じる結果を予測し、それを意図している。それゆえ、適切なモデル・道具が共有されるためには、情報を発信する者が誠実であることが求められるが、全ての人があらゆる場面で誠実であることは期待できない。嘘を吐くことが全くない者などはいないし、他者の利益を守るため、あるいは共同体を改善するためにあえて嘘を吐かざるを得ないこともある。 情報の発信者と受信者で知識や理解力に差があり、モデル・道具の共有が円滑にいかないことがある。たとえば専門家と素人、売り手と買い手などではしばしば情報の非対称性が生じ、そこに誤解や嘘が発生する。この問題は先に論じた誤解の問題の一種と捉えることもできなくはないが、発信者と受信者の間に存在する非対称性に特徴があり、誤解の場合とは分けて考える方がよい。この問題についても当該案件に詳しい者がコミュニケーションに介在することで解決が可能ではあるが、常に適切な介在者を用意することは現実的にはできない。それゆえ、この問題の解決には、日頃の教育活動、啓蒙活動が重要になる。この点が誤解の場合とは異なると言えよう。但し、このような活動が成功するとは限らず、非対称性が解消されずモデル・道具の共有が上手くいかないことは珍しくない。 このように、他者とのモデル・道具の共有、その延長線上にある共同体でのモデル・道具の共有にはここで取り上げたもの以外にも様々な阻害要因がある。そのため、新たなモデル・道具を共同体において適切に共有することができないことが少なくない。また、そのことは、既存の不適切なモデル・道具を共同体から取り除くことが容易ではないことを示している。私たちは様々な共同体において適切なモデル・道具を共有することで社会を改善している。しかし、それは容易なことではない。不適切なモデル・道具が伝達されそれを修正できない場合が少なくなく、それが共同体に広がることで様々な軋轢を生む原因になることが多い。それゆえ、適切なモデル・道具の生成と活用はどうすれば可能かだけではなく、他者との適切なモデル・道具の共有がどうすれば可能かを考えることがモデル・道具論の最重要課題の一つとなる。 了
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