☆ フランス哲学の魅力と限界 ☆

井出 薫

 千葉雅也氏の『現代思想入門』(講談社現代新書、2222)がヒットしている。現代思想と銘打っているが、実際は構造主義とポスト構造主義、ポストポスト構造主義など現代のフランス思想の紹介と解説がメインで、英米の主流である分析哲学や倫理学、正義論、ドイツの現代思想などには触れられていない。特に、デリダ、ドゥルーズ、フーコーが重点的に論じられており、現代思想入門というよりも、現代フランス思想入門という方が相応しい。

 前世紀の80年代、浅田彰の『構造と力』が大ヒットして、言論界でポストモダンブームが起きた。そのときも、主役はフランス現代思想だった。そして、主役として登場したのもデリダ、ドゥルーズ、フーコーだった。フランス現代思想はなぜ斯くも魅力があるのだろうか。その議論はかなり雑で、科学理論の恣意的な引用も多い。ポストモダニズムの恣意的で不適切な科学理論の引用を批判したソーカルの著作を切っ掛けにサイエンスウォーズが発生したことは記憶に新しい。できるかぎり緻密な議論を求める英米の分析哲学などとは対照的なスタイルを持っている。本来、哲学は極力緻密な議論を行い、根源的な真理を明らかにすることがその使命だった。西洋哲学の原点ともいうべきプラトンがそうだったし、デカルトも同じだった。カントは極めて難解だが確実な知を求めることでは先人と変わらず、ポストモダニズムにも大きな影響を与えているフッサールも目指すところは厳密な学だった。

 それがなぜ曖昧で、恣意的、独善的にも思える現代フランス思想が支持されるのだろうか。そこには、究極的な真理、普遍的な正義などというものは存在せず、そのようなものを求めることは、却って見解を異にする者同士の諍いを生み、時には、それが独裁や専制へと転化するというポストモダニストたちの認識が背景にある。理想社会を実現するはずだったマルクス主義は真逆のスターリニズムや、ポルポトの虐殺、文化大革命の混乱を生み出した。自由民主主義もヒットラーの台頭を阻止できず寧ろ後押しした面もある。科学にも多くの疑いや曖昧さがある。量子論は、あらゆる自然法則の中で、最も普遍的で信頼がおける理論だが、その解釈は多様で意見の一致を見ていない。アインシュタインは、終生、量子論は不完全な理論でより完全な理論に置き換えられるべきだと考えた。そして、現代の物理学者も量子論は、使い方は分かるが、それが何なのかは分からない、不可解な面があることを認めている。何か分からないが、とにかく役に立つから使っているというのが本当のところだ。基礎的な物理学ですら、こうなのだから、多くの科学は不確実性、曖昧さを含んでいる。新型コロナでは実に多くの不適切な見解や誤った主張が、専門家と称する人々からなされた。科学は決して万能ではなく、不確実性を含む。そして、多くの科学者は間違った主張をしたり、間違った思想に囚われたりしている。

 こういう現実の中、絶対的な真理や正義を主張したり求めたりする思想を懐疑的に批評する現代フランス思想が多くの読者の心をつかむのは当然のことなのかもしれない。事実、フランスのポストモダニズムは、既存の哲学や政治思想や倫理の持つ曖昧さ、それが主張するところとは真逆なものがそこには隠されていることを暴き出した。特にデリダは脱構築というキーワードのもとで、それを巧みに行った。

 しかし、その一方で、私たちは真理や正義の探求を放棄するべきではない。確かに、絶対的な真理や正義を有限な人間が完全に認識することはできない。だが、そのようなものの存在を想定することで、私たちは議論を継続することができる。その議論には終着点はない。だが、それでも議論ができる。完全な相対主義やニヒリズムに陥れば、私たちは意見を異なる者との議論は困難になる。現代フランス思想は魅力的ではあるが、過剰な相対主義に陥り、議論が不可能になる危険性がある。現代フランス思想を読むときにはそれに注意が必要だ。


(2023/9/1記)

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