☆ 重力波 ☆

井出 薫

 昨年、発見が公表された重力波は大いに話題になり、今年のノーベル物理学賞の有力候補と目されている。先日、NHKのニュース番組でも重力波とその発見の意義が解説されていた。では、重力波とはそもそも何なのだろう。

 ニュートンの万有引力は遠隔作用という性質を持ち、質量を持つ物質同士が直接的に相互作用する。たとえば地球と太陽は直接的に重力相互作用をする。もし、太陽が突然消滅したら、その影響は瞬時に地球に伝わる。太陽が消滅した瞬間、地球は糸の切れた凧のように公転軌道から外れ太陽系の外へと飛んでいく。だが、このような遠隔作用は特殊相対性理論に反する。特殊相対性理論によると、エネルギーや情報は真空中の光の速さを超えて伝わることはできない。そのため、アインシュタインの一般相対性理論では重力は真空中の光の速さで伝わるとされる。重力は直接相手に作用するのではなく、空間を光の速さで進みながら相手まで届き、そのとき相手に影響を及ぼす。太陽と地球の間は光でも8分程度かかる距離があり、太陽が消滅しても、すぐには地球に影響は現れない。8分経ってから初めて影響がでる。

 一般相対性理論は、水星の近日点(太陽に一番近くなる点)の変化、太陽による光の屈折、重力による光の周波数の変化などの観測で、その正しさが認められている。つまり重力は遠隔作用するのではなく、じわじわと力が伝わっていく(近接作用とも言う)。

 では、重力の伝わり方はどのようなものだろうか。熱伝導では、原子や分子、電子などの粒子が衝突しあってエネルギーが伝わっていく。温度が高い場所では粒子のエネルギーは高く、低い場所では低い。高いエネルギーを持つ粒子から低い粒子へとエネルギーが転移することで熱は温度が高い方から低い方へと伝わる。ボンベのガス栓を開けるとガスは拡がっていく。これは粒子が密度の高いところから低いところへと拡散していくことによる。このようなエネルギーの伝わり方の他に、波動という形でエネルギーが伝わる現象がある。海面の波や長い縄の片端を揺すった時に起きる波などが身近な例として挙げられる。電磁波もその名のとおり波動として伝わる。重力も電磁波と同じように波動として伝わることが、一般相対性理論の方程式から導き出される。この波こそが重力波と呼ばれるものの正体になる。因みに重力波観測では巨大な質量を持つブラックホールの合体により発生する重力波などがその対象となるが、実は人間の身体を含めて全ての物質が重力波を放出している。但し、微弱すぎてそれを観測することはできない。

 では、重力波の発見はどのような歴史的な意義を持つのであろうか。なぜノーベル賞候補と言われるのであろうか。理論的には、重力波の存在はすでに100年前に示されていた。一般相対性理論の正しさはすでにすべての物理学者が認めている。それゆえ、重力波の発見は一般相対性理論の検証という意味では大した意義はない。すでに正しいと分かっている理論に、もう一つ証拠を追加したに過ぎない。判決が確定した後に、それを補強する証拠が出てきても大した意義はないのと同じとも言える。重力波の発見の意義は別のところにある。

 宇宙は、誕生後、インフレーションとビッグバンを経て膨張を続け、誕生から37万年後くらいには原子が中性化し、電磁波が遠くまで届くようになった(宇宙の晴れ上がりとも言う)。現代の天文学(宇宙論を含む)は、可視光だけではなく様々な周波数の電磁波を観測することで成り立っている。しかし、電磁波が遠くまで届くようになるのは、誕生から37万年以降のことで、それ以前の出来事は電磁波の観測では知ることができない。だが、重力波ならば、それより前の宇宙を、宇宙誕生の瞬間まで遡り観測することができる。つまり宇宙の誕生から現代に至るまでの宇宙の進化を、重力波を観測することで知ることができるようになる。その意義は極めて大きい。ノーベル賞候補と目されるのも頷ける。実際、今年は無理でもいずれ受賞することは間違いない。

 もちろん重力波の観測は容易ではない。だからこそ、一般相対性理論から重力の発見まで100年もの歳月を要した。それゆえ現実問題としては、そう簡単に宇宙の歴史が解き明かされる訳ではない。それでも、世界各国で観測が行われる様になれば、多くの画期的な発見があるだろう。天文学は電波天文学に重力天文学が加わった新時代に入る。そのことの意義は極めて大きい。

 とは言え、財政難もありこのような巨大科学には批判もある。宇宙の始まりが分かって何の役に立つのか。分かると言っても所詮は理論的なモデルに過ぎない。そのようなことに巨額の投資をする意味があるのか。少なくとも世界中が平和で誰もが健康的で文化的な生活が営めるようになるまでは、このような専ら知的好奇心を満たすだけの贅沢な科学にお金をつぎ込むべきではない。こういう批判がある。確かに一理ある。だが観測を行う装置を開発するに当たって多くの技術革新がなされ、それは他の分野に転用することができる。また宇宙とその歴史に興味を持つ者は極めて多く、ごく一部の者だけに満足を与える訳ではない。それは芸術やスポーツと同じように多くの者の人生を豊かにする。もちろんどこまでお金をつぎ込むことができるかという問題はある。そのために、社会保障費や福祉、教育などの費用を削る訳にはいかない。だが国際協力を進めることで効率よく研究を進めることができる。それは世界平和にも貢献するだろう。重力波は微弱で観測困難だが、それを観測する知的能力が人間にはある。それを上手く使えば、戦争など紛争をすべて解決して、世界の全ての人々が平和で豊かで健康的な生活を送ることができるようになり、同時に宇宙や素粒子の研究にも多額の資金を出すことができるようになる。そう期待したい。


(H29/10/1記)


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