☆ 技術の位置 ☆

井出 薫

 技術は、個人の技能や、組織や規則の運営方法などを意味することがある。しかし、本稿では、技術とは専ら道具や機械、コンピュータのソフトウェアなど人工物を用いて遂行される諸活動とその様式を意味するものとする。

 マルクスは、「経済学批判」の序言で、人間は、生産力に応じた生産関係に入る、そして、それが歴史と社会の現実的物質的な土台であり、その土台の上に法や政治、文化などイデオロギー諸形態が存在すると論じた。そして生産力が発展すると、やがて古い生産関係とその上にあるイデオロギー諸形態は解体され新しい社会体制が生み出されるとマルクスは考える。しかし、歴史と社会の基盤とされる生産力とは何か、生産関係が何かを明確には示していない。

 伝統的なマルクス主義では、生産力は、労働力と生産手段(土地、機械や道具などの生産用具、半製品、材料、燃料など)からなり、労働力と生産手段を誰がどのように支配しているか(占有しているか)が生産関係という表現で論じられるとされる。原始共産制では、生産手段も労働力も共同体の共有物とされていた。古代奴隷制では、労働力も生産手段も奴隷の主人が支配した。農奴制(封建制)では、生産手段は農奴が占有しているが、身分制や土地の支配を通じて、封建領主が農奴たちの労働力を事実上支配していた。資本制では、労働力は労働者自身が占有し、労働者はそれを自由に処分することができる。しかし生産手段は資本家が支配し、労働者は賃金の対価として資本家の指図に従い、契約した時間だけ指定された場所で労働することを余儀なくされている。未来の共産制では、再び、労働力も生産手段も共同体の共有物となるが、原始共産制とは異なり歴史の中で飛躍的に発展した生産力により、労働の負担は著しく軽減し、全ての者が自由で創造的な生活を送るようになるとされる。

 だが、このような単純な図式では、生産力の発展が説明できないし、生産力と生産関係の関連も明らかにならない。ここで、特に注目すべきは、生産力を構成する二つの要素、生産手段と労働力の関係だ。労働者、生産用具、原材料などを一か所に集めても生産は実現されない。それらを適切に組織化、体系化しないと生産は始まらない。そこで、生産手段と労働力を結合し、媒介し、生産活動(運輸交通、通信を含む)又は身体の再生産としての消費活動を生み出す何かが必要となる。この「何か」を「技術」と考えることができる。これは個々の製品たとえばスマホやパソコン、自動車や電車などを「技術」とは呼ばず、それを生産する過程で使用される設計書、作業工程表、それらを支える工学理論と労働者の技能、生産で使われる道具や機械の仕様や使用方法、さらにはそれらの機械や道具、製品の具体的な操作手順や修理方法などを総称して「技術」と呼ぶことと合致している。それゆえ、技術を生産手段と労働力を結びつけ生産を実現するものと考えることは理に適っている。

 このように捉えることで、技術の進化が生産力を拡大するための(唯一とは言えないまでも)最も重要な要因の一つ、長期的にはおそらく最も重要な要因であることが明らかになる。技術の進化が生産力を拡大する唯一の道ではないし、技術の進化が歴史を決める訳でもない。それでも、技術の進化は生物種の進化と同様に、歴史の展開に決定的な役割を果たす。手挽臼は封建領主の存在する社会を、蒸気臼は産業資本家が存在する社会を生み出すとマルクスは、その著「哲学の貧困」(第2章第1節第2の考察)で書いている。マルクスの表現は単純すぎるが、それでも間違っているとは言えない。

 こうして見ていくと、技術がなぜ進化するのかということが問題になることが分かる。技術が進化すれば生産力が拡大する可能性は高くなる。だが、なぜ技術は進化するのか、技術の進化は人間社会の本質に属することなのだろうか。技術が停滞していた時期があり、急速な進化を遂げた時期がある。それゆえ、技術進化が人間社会の本質に属するとは言いきれない。たとえ、本質に属するとしても、それだけでは進化の速度や方向を決めることはできない。そこから、生産関係とは、技術進化の速度、方向を決め生産力の発展を促す(あるいは時には、阻害する)社会的諸関係と見なすことが可能となる。

 資本主義の時代には技術は他の時代とは比較にならないほど急速に進化する。それは、資本主義が、マルクスが述べるところの相対的剰余価値生産(又は、シュムペーターが論じるところのイノベーション)を通じて発展することによる。相対的剰余価値生産も、イノベーションも、技術進化がないと生じない訳ではない。企業の統合による規模の経済で生産性を上げたり、新規事業を生み出したりすることもできる。しかし、技術進化は最も有力かつ確実な方法で、時間的、空間的に決定的な影響を社会に及ぼす。船舶、列車、自動車、飛行機、コンピュータ、電話やインターネット、薬品、それらを支える鉄、ガラス、セメント、半導体、道路、電柱・管路、アンテナや通信線路、工場、空港や港などを製造、建設することができるようになったことが、どれほど決定的に社会を変えたかを考えれば、それは容易に理解される。それゆえ、資本主義では、技術進化は資本主義という体制の本質的な機能と考えることができる。そこでは技術進化はほぼ必然であり、生産力の継続的発展もそこから説明することができる。

 生産関係は技術進化を促す、又は阻害することを通じて、生産力の拡大を促進又は阻害する。それゆえ、生産関係をただ労働力と生産手段の占有関係(法的には所有関係)だけに抽象化することはできない。それでは、その本質が見失われる。上部構造に属するとされる政治や法を含めた、広い社会的諸領域を射程とし、生産力の拡大を促進あるいは阻害する力こそが生産関係の本質をなすと言ってよい。生産手段と労働力を誰が支配、占有しているかは重要な要因ではあるが、それが全てではないし、必ずしも最も重要な要件でもない。もっと広い射程を持った存在として、生産関係を捉える必要がある。それにより、生産力と生産関係の連環が明らかになり、生産力の発展の速度と方向を決める要因を解明することが可能となる。

 そのためには技術の歴史を紐解くことが有益だろう。それにより、ここでは抽象的にしか議論できなかった生産力と生産関係の連関、その発展の契機が、より具体的に示されるからだ。たとえば、インターネットは良いテーマだと考えられる。生産手段と労働力を媒介して生産活動と、(労働力の再生産としての)消費活動を生み出す技術は、人々のコミュニケーションをその本質的な要素として含む。それなしには労働者が協力して生産を行うことはできないからだ。インターネットはそれ自体がコミュニケーションメディアとして存在する。それゆえ、それは技術という存在を解明して、生産関係と生産力の本質を認識するうえで格好の主題と考えられる。しかし、それについては別の機会に議論する。


(H28/12/17記)


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